なんか出そうな長岩城跡に行ってきた

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みなさんこんにちは

実は僕、お城が好きなんですよ。

世の中にお城趣味の人はゴマンといて、その中にいると『好き』という言葉を発するのにはばかられる程に精通している方もたくさんいますので、ちょっと小声になるんですけど、

『好き』

なんですよね。

で、先日長岩城跡に行ってきました。聞いたことない城跡ですね?僕もです。

棚田と言えば曼珠沙華!撮影のポイント4つ!
みなさんこんにちは 秋ですね、秋。今年(2016年)は9月22日に秋分の日を迎え、実に33年ぶりに9月23日じゃない日になった...
この撮影の時に合間を見て行ったのですよ。 なので、取材日はこの頃ですね。ちょっと前です。

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長岩城とは?

長岩城(ながいわじょう)は福岡県うきは市に存在した日本の城(山城)。

引用:Wikipedia『長岩城(筑後国)

いや、なんかもうWikipediaの説明もさっぱりしてますね。築城廃城ともにはっきりした年は不明です。

問註所氏が主な城主となっていて、鎌倉時代から江戸時代前半までの城のようです。福岡県うきは市の山中にある山城で、生葉郡(うきは市吉井町・八女市星野村付近)を治めていたらしい。

足利尊氏(足利将軍家)から偏諱(へんき)を賜ったというから、まぁなかなかのお家柄だったのではないかと思う。

戦国時代には大友家(キリシタン大名で知られる大友宗麟の家系)の配下にあり、同じく配下にあった星野氏が龍造寺氏に寝返り、秋月氏と共に攻め込んで来た際も大友氏配下として撃退している。

その後も大友氏の信頼厚く、付近の押さえとして重用されていたようだが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に戦死し、没落。どうもその頃に廃城になった様子。

ざっと調べただけなので、誤りがあったら教えてください。というか、細々しすぎてちょっとよくわからないです。詳しい方カモン!

どこにある?

だいたいこの辺です。JR久大本線うきは駅から、南下して山中に入ります。

合所ダムを抜けてまだひたすら走っていくと着きます。

長岩城付近の案内板

途中に長岩城跡と書かれた看板がある。ただし、ここではない。

こう書くとあっさり着いたように見えますが、途中に看板が何箇所か立っているものの、距離も何も書いてないので、途中で不安感が募ります。が、頑張って車を走らせましょう。

心が折れそうになった頃に着くはずです。

途中、ここか!と勘違いしそうな空き地がありますが、寄っていいですけど目的地ではありません。ご注意を。

ここには、2.2Km先と記載されているので、山道の走行に疲れていたら休息するべき。ちょっとした空地になっている。飲み物を持っていなければ、ここらへんの商店前に自動販売機がある。もっと上にもあったかもしれないが、記憶が曖昧なのでこの付近で調達しておいた方がいい。

長岩城探訪

img_1800_1-1s入り口には立派な石碑があり、目的地を見間違えたりはしない。駐車場らしき広場が近くにあったのだけれど、排水路なのかなんなのかが道路を横切っていて、それが非常に広いため、今回そこへの駐車は諦めた。

石碑の横に石段があり、どうやらここから登るらしい。周囲は鬱蒼とした森の中。はっきりとしているのは石碑しかない。

今回は一眼レフを置いて、G5x1台で行くことにした。曼珠沙華の撮影後でしんどかったんで。

階段を上がっていくと、平屋の建物が見える。城跡を再現でもしているかと思ったら、どうにも仏教系の建物らしい。

どういうことなのだ、ここは城跡ではないのか?疑問がよぎるが左脇に通り抜けられる階段があるため、その先まで進んでみることにする。なんだか生命感のない建物の脇を抜け、裏手に進んでいく。

道なき道と言うには、ややはっきりしているが、場所場所で葉が生い茂って道が見えない。わずかしか進んでいないにも関わらず、不安感が襲いかかる。ちょっとの距離で道を誤り、何度か往復しつつ先に進む。振り返ると寺の裏側が見えるが安心感はなく、却って言い知れぬ恐怖に襲われそうになる。

そんな矢先、看板が見えた。人が分け入ってくる場所であることを確認して、ほっとする。

ただ、看板には

←物見岩(左) けやき群(右)→ 長岩城跡(戻)↓

とある。あれ?通り過ぎた?

いやいや、そんなはずはない。ちょっとしか来ていない。城がワンルームってこともあるまい。どういうことだ。

城跡に来たはずなのに、案内看板は僕を来た方向に戻そうとする。

しばし悩んだ後、とりあえず物見岩に進むことにした。名前から察するに、きっと櫓のように使われた岩であろう。

獣道を左に進む。

急に遊歩道のような道が現れた。これならもう少し手前から作って欲しい。不安感は減ったが、落ち葉がつもりがちな遊歩道はギシギシと音を立て、薄暗い森と、腐りかけて沈みそうになる木床が別の不安を煽る。

思ったより移動距離があり、物見岩の看板が現れた。だが、看板下に気になる文字が。

命名者:和田ヒロミ様

???

命名者?これ、以前からの呼称ではないの?てかどちら様よ?

疑問は尽きないがとりあえず上がる。上り階段(はしご)は思ったよりしっかりしていて、安心して登れた。

岩上からの光景は、物見岩と言うか、向かいの山からの信号を受け取るには良さそうだが、周囲はちょっと見えない状態だった。お弁当持ってピクニックくらいなら……とも思えない道中である。ここは物見櫓代わりにはなりそうもない。どういった意図で命名されたのかは不明だが、本当に登ったのだろうか。その方。

向かいに見える巨岩には、なにやら白い紐のようなものがへばりついている。よく目を凝らすと、樹の根だった。山頂には、大きな樹がそびえ立っている。ここではなく、向かいの岩に登りたい!

物見岩をいったん下りて戻ろうと思ったが、物見岩を通過して先に伸びる遊歩道である。どこに行くのか、看板でもあれば……と思い、少しだけ進んでみた。

遊歩道が下り階段に変わったけれど、その長さ、遊歩道を登った距離より確実に長い!どこにつながっているのかわからなかったけれど、先程の分岐の先に進んでいないので、分岐看板まで戻ることにした。このまま先に進んで奈落の底まで連れて行かれたらたまったもんじゃない!

ケヤキ群と案内看板にはあったが、色々な樹が植えてある。並びから察するに、自然群生に手を入れたのかな?

中にはもみじもあったりして、秋にはきっとキレイなんだろう。昼間のうちに今度は来ようと固く心に誓う。この時16時頃。山はちょっと薄暗くなる頃だ。

トーチを置いてきたのが心細さを増やす。本当にG5xしか持ってこなかったので、携帯もドリンクも持っていない。まさかこんなに歩くとは。

丸太を埋め込んだ階段を登りきると、左手に広場があった。急にポッカリと開けた感じで、何をする場所なのか理解できない。まさか悪魔でも召喚するわけでもあるまいし。

明るくなっている場所でもあり、ちょっと休憩。

休憩中に考えていると、ここが本丸跡なのかもしれない。で、最初の寺らしき建物付近が二の丸か。そう考えると、物見岩の先の方には井戸でもあったのだろうか。水の流れる音はしなかったが、そうか、石碑から道を渡ると川があった。水にはそうそう困らなさそうだ。

まぁ、井戸はどこかにあったのだろう。防衛陣地として城を考えると、水がないのは危険だ。もしかするともっと裏手にあるのかもしれないが、見渡す限り岩山である。本丸または二の丸内にあるのかもしれない。そう思っていたら、広場とは反対側にまだ道が伸びていた。

冒険は終われなさそうだ。時間との兼ね合いもある。往復ばかりしているので、それほど石碑から離れていないが、暗くなるのはまずい。もう少しだけ歩いたら帰ろう。

遊歩道を前に、背後のケヤキ群を見てから進む。森の中だからだけれど、薄暗さがましてきているのか不安感が増えているのか。

登ったと思ったら下り階段になる。きしむ階段を踏み抜くんじゃないかと思いつつ下を見ると、やっぱり妙に長い。物見岩の向こう側みたいな長さだ。どこまで行っても奈落と仲良しなのかと思いつつ、引き返すかどうか悩む。

時間的にはまだ余裕があるが、連絡手段と水分がないのが痛い。水分補給も必要だし、後15分と決めて歩くことにした。これならおそらく、戻りまで含めても一時間はかからない。

途中で踏み板が抜け落ちていたりして、奈落の恐怖を感じていたが、木板の階段から丸太埋め込みの階段に変わる。木板を設置しなくていい勾配ということなのだろう。随分下まで降ろされた。方向的には、奈落でも山の向こうでもなく、ずっと下の道路に向かっているようだ。

あまりに下に降りたり、違う通りに抜けると困る。舗装路はありがたいが、遠回りだとかなり時間をロスする。山の向こうではなさそうなのがまだ救いか。

高度が下がってくると、なぜか安心してきた。周囲の雰囲気が何とも言えないが変わったせいだろうか。

安心するとすぐに道路が見えてきた!

もう安心だ。

あんじゅ

今日はお休みだったようだ

道路はなんとなんと、石碑からそれほど遠くないところに出てきたのだった。確かに前の道路自体が急勾配だし、遊歩道はくねくねしていたから、すごくすごく歩いたような気がしていたが、お釈迦様の手のひらだったのかもしれない。冒頭に掲載の地図で、「あんじゅ」と書いてある付近に出た。あんじゅは今日はお休みだったようだ。

車に戻り、道路を前後すると月見岩と書かれた案内看板が。そういえば樹の根が垂れ下がった岩にはたどり着かなかった。分岐もなかったはず。これがそうなのだろうか?

まとめ(まとめ?)

なんにせよ、油断して散策したのが間違いだった。カメラはともかく、連絡手段と水だけは持っていくべきだった。不安感が疲労を大きくするなんてことはよく分かってたことなのに。

戻ってよく周りを確認すると、石碑横の石段の向こうに白い看板があって、どうもお寺さんが城跡に説教場を建てたらしい。なんだかもっともらしく書いてあったけれど、言い訳がましく見えてしまった。こんな山奥にぽつんと所有権を主張するようなものを作らなくても良かったのではなかろうか。人家のそばに寺があったほうが喜ばれそうなものだが。

なにはともあれ、次の機会があれば晩秋の頃に来たい。きっと紅葉がきれいなはず。広場はアクセスが悪いけど、気兼ねなくポートレートでも撮れそうだ。

そしてなにより、月見岩と樹の根の垂れ下がった巨岩が気になる。次回が一体いつになるのかが分からないが、また行こう。

城跡が本当はどこなのかわからないままに探検だけが終了してしまった。寺と広場の部分で間違いないと思うのだが、どうも確証がない。しかし、そうならば周囲の岩山と相まって、天然の要害もいいところだ。こりゃ、秋月氏も攻めあぐねるな。むしろ場所的にスルーしそう。

というわけで、今回はあんまり写真とは関係ないけれど。

ちなみに今回の写真、僕の不安感を表してちょっと暗めにしています。見づらかったらごめんなさい。

ではまた。

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